「75分しか授業時間がないんだから、4択にして短時間でたくさん問題に取り組めるようにできない?」
「選択肢をランダムに配置できれば、次回の確認テストで 『ちゃんと』 復習できるよね」
……
連日夜遅くまで、生徒さんひとり一人の学習報告書や指導カリキュラムを作成してくれるチューター(指導員)のみなさん。
夏期講習も終盤にさしかかり、疲れがピークに達しているはずなのに(私のような年寄りといっしょにしちゃダメ?若いから疲れてないかも)、つい先日の晩は、いつも以上に遅くまで、講習期間中に気づいたことを話し合ってくれていました。
題して
『英単語トレーニングをもっと充実させたいゾ!』
……
……
「『エクセル』(表計算ソフト)で作れれば、その子の間違えた問題だけ集めて、オリジナル問題集ができる」
「テスト前にできたら効果的だね」
「校舎の傾向もわかるかも」
「単語のとなりに『校舎正答率75%!』ってつけたりして」
……
……
聞いている私は、ただただ感謝の念。
と同時に……
「プログラミング教育」って言葉がメディア(とくに教育関係のね)に登場するようになって久しいけど、
パソコンを使ってトレーニングプリントを作れるってことが大切なわけじゃなくて、
行く手に立ちふさがる川…(「川」は立ってはいないけど)を前にして、
どうやってその川を越えるのがいちばん安全なのか?
跳び越えられるの?(オランダの「運河渡り競争」みたいに長い棒を使ったりして?)
泳ぐ?(あの「ガンジス」と「セーヌ」は泳ぎたくないな)
橋をかける?(いわゆる「巨木」があったらイケルかな?でも切り倒せるか?)
船……「いかだ」!!(「巨木」じゃなくてもイケソウ?ペットボトルとか?)
どうやって造る?
サイズは?(何人いるんだ、ここに?)
材料はどこから、どうやって調達してくる?
いつまでに、誰が、何をする?
いつチャレンジする?
水量は?(そうそう上流にダムがあったりしたら面倒だな。なにも警告せず放流!なんてアウトじゃん)
天候は?
流速は?(上流かな?下流かな?ここどのあたりだろう?)
向こう岸に着くまでにどれくらい流されるだろう?
到着地点はどのあたり?
なんていう「問題解決のための段取りを創りあげること」、
それが「プログラミング」の本質だよね、きっと。
それにしても、
大学時代の「あの頃の私」に比べたら、
目の前のチューターさんたちのなんと頼もしいこと!
「大学入試改革(高大接続改革)」を実現したい人たちがいるようだけど、
「大学改革」ってほんとうに必要なの?
実は、もう十分に改革されているんじゃないの?
誰のための改革?
高校生のため? ほんとう?
大学生のため? ??
……
……
夜遅くまで笑顔で頑張ってくれるチューターさんたちを前に
こんなことも考えていた、処暑前日の夜。